なぜ投資は億劫(おっくう)なのか

2021/02/23

儲けている時はいいけど、含み損を抱えると途端に萎えてしまったり、恐怖に駆られたりして後悔の念がムクムクと膨らんでくる。筆者はそんな経験を数えきれないほど味わってきました。

投資を生き生きやっている人はいます。でも少数派ではないでしょうか。なぜ投資は億劫(おっくう)なのか。

投資に対するイメージは

  • 将来のお金に対する不安に駆られ、義務感から始めてしまう。
  • 興味はあるが長時間働き得た、なけなしのお金をあっという間に失うのが恐い。
  • 市場に相対するには、難しい論理を身につけないといけない気がする。
  • 投資で得たお金は、濡れ手に粟な感じで手にするのは罪悪感がある。

いずれも、ちょっとダークな影(重言?)を含んでいます。でも、これは日本人特有の感覚なようです。ちなみに米国では、所有している全資産の1割を現金で持ち、残りを様々な投資に充てているようです。また、ユダヤ人の格言には「重い財布は、心を軽くする」とか「お金が人生のすべてでないと言う人に限って、何時まで経ってもお金がたまらない」といった辛辣なものがあります。日本は「武士は食わねど高楊枝」を粋とする文化ですから随分ギャップを感じてしまいます。

貯金だけでは幸せになれない

いきなり結論めいてすいません。先ほどのユダヤ人ですが、小学校の教育課程にお金についての授業が組み込まれています。そこでは複利を教えているそうですが、それは基本的概念に「お金儲けは善であり、貧乏は恥ずかしい」という考え方があります。

日本人も判っています。「お金があっても幸せとは限らないが、全くない場合は確実に不幸」だと。じゃあ貯金しようと頑張ってみても定期預金の金利が0.02%では儲け感が無く、意味を見出せません。なんか違う、コレジャナイ…って感じです。

高度成長期から変わっていない知識

1960~1990年の間、目覚ましい発展を遂げたとき、人々は60歳まで働けさえすれば、あとは退職金と年金で死ぬまで暮らしていけると言う世界観でした。誰もが老後のことなど考えもしないばかりか、朝起きて会社にさえ行けば、考えてなくても仕事が待っている状態です。会社のお金のことは考えても自分のお金のことは考えていなかったのです。

また、その当時の貯金利率は5~8%ありました。ほおっておけばいつの間にか倍になっていました。元本保証でノーリスクの環境では投資に対する姿勢、知識は身につかなかったでしょう。そんな環境で生活していた親世代が自身の子に投資の何たるかを教育できたとは思えません。筆者も教わった記憶はございません。

教わっていないので親世代の真似をしてみます。預金だ、貯金だと。親世代はこれでうまくいきましたし、年金もたんまり貰えました。今では、預金だ、貯金だと言われてもコレジャナイ…ですよね。コレジャナイのはわかったけど、それ以外教わっていないので出口が見つかりません。

幸せを得るための投資先は

真面目にコツコツ働くだけで一生安泰な時代ではなくなりました。自己実現のため、普段の生活から少しずつ節約して残ったお金を投資に回して、幸せをゲットしましょう。投資に対する知識も必要ですが、それ以上に投資に対するメンタルが大事だと筆者は思っています。

ここでの投資とは、株式を指しています。新たな価値を生む投資とは、株式、債券、不動産の3つだと筆者は考えています。この3つは全員が勝つことが出来ます。FX(外貨)、仮想通貨、石油、きんは、誰かが勝てば、同じ数の負けた人が出るゼロサムゲームです。万人が勝てる投資先ではありません。

ほんの少しずつ始めるのが良い

先に投資に対するメンタルが大事といいました。投資が億劫になりがちなのは、必ず一度は負ける(損をする)からです。常に勝負の世界に身を置いている人は、勝つためのモチベーションを維持するのに多大な努力をしています。これを続けることが困難な人(筆者を含みます)は投資を勝負として捉えないよう、負けても大したことのない状態から臨み、負けに対抗(正確には麻痺)するメンタルを持つことが大事だと筆者は考えています。

まとめ

  • 投資を億劫だと思うのは、お金儲けに対する意識が後ろ向きで、どことなく罪悪感があるから。
  • お金をふややそうと思ってもやり方がわからない。何に投資していいかもわからないのは仕方がない。
  • まずは、ほんの少しのお金を株式に投資しよう。
  • 負ける(損をする)ことに対し、いい意味で麻痺しよう。

雑記帳

Posted by fuminox